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- 最後の二度とない瞬間を支えて~ Capítulo 1
佐々木孝尚です。
フリーの照明家です。
主にフラメンコを主体とし全国の劇場からタブラオ、ライブハウス、イベントスペースなどで照明(一部音響も)を年間200~300ほど行っています。

1960年2月13日青森県北津軽郡板柳町生まれ。
父は銀行員でした。その関係で転勤が多く小学校3回、高校は2回替わっています。
大学は法政大学社会学部でした。
小さい頃は一人遊びが好きなちょっと変わったところがある子だったようです。
中学生の時に聴いたロックに感銘を受け音楽が好きになりました。高校生の時は毎日のようにジャズ喫茶に通っていました。
大学に進学したのは東京で何かやってやろう、と思ったからで法政大学に入学した直後、当時マスコミで話題になっていた「芸能山城組」というコーラス集団に入りました。
大学に入る前にテレビで芸能山城組のパフォーマンス「恐山」を見たことがきっかけでした。
この時、芸能山城組の公演の照明をしていたのが当時ピンクレディや西条秀樹、日本初のロックミュージカル「ヘアー」や数多くのアーティストの照明を担当していた日本ロックコンサート照明の草分けとも言われる山形多門さんでした。
そして、あとから知るのですが、山形多門さんがエルフラメンコのオープンから照明を担当していたのです。
エルフラメンコは当時の親会社、三好興産の三好会長の「東京に世界一のタブラオを作る」という構想のもと、各界から一流の専門家をよんで作った店です。
エグゼクティブプロデューサーはYMOのプロデューサーでアルファレコードの創設者でもある川添象郎さんでした。
芸能山城組には2年いましたが辞めてからも相変わらず大学の授業には行かずバイトに明け暮れ、以前から好きだったドラムでプロドラマーを志し練習に励んでおりました。
ある時芸能山城組で親友だった、後に環境音楽作曲家になる広瀬君に 「照明のバイトあるけど興味ある?よかったら見に来て」と言われ即座に見学に行きました。それが伊勢丹会館にあったエルフラメンコ(後のガルロチ)でした。

ガルロチの店内
エルフラメンコに行き、初めて見たフラメンコは速いパルマのクロスリズムと高音のメリスマが独特な歌が印象的でしたが、元々複雑な音楽が好きだったためすぐに理解でき、次の日からエルフラメンコに通うようになりました。1981年の事でした。
最初はカルメン・レデスマがいたグループでこの時だけフィグーラ(メインスター)不在のグループでした。ギターに今はないのですが住田政男氏がおり色々と教えてもらいました。
エルフラメンコの照明は山形多門さんの監修の元3人でオペレートをしていました。照明に関しては今でも山形多門さんが師だと思っています。

エルフラメンコの公演
以来エルフラメンコでは途中抜けた時期もありますが2016年までで70近いフラメンコグループと関わってきたことになります。
ガルロチになってからでも40近いグループです。
以来エルフラメンコでは途中抜けた時期もありますが2016年までで70近いフラメンコグループと関わってきたことになります。
ガルロチになってからでも40近いグループです。

Capítulo 2 へ続く ーーー
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