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最後の二度とない瞬間を支えて~照明家 : 佐々木孝尚 Capítulo 3
エルフラメンコからガルロチまで長きにわたり照明・
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エルフラメンコをある時期から一人でやる事となり正月3が日以外は1年間まったく休みがなかった事もありました。

1996年ぐらい。大久保にあった初代カサアルティスタ。 エルフラメンコが終わってから遊びに行き、よくショーでパルマをたたいていました。手下とはここで知り合いました。

1996年5月、踊り手の手下委里亜と結婚しました。結婚式の後もエルフラメンコに仕事に行きました。
同時に少しずつ劇場の照明も始めています。
当時スペインで最高峰の舞踊団がアントニオ・ガデス舞踊団でした。フラメンコの劇場照明のスタンダードを作ったのがアントニオ・ガデスです。
私も来日した時に見に行きましたが、絵画を見ているような完璧な照明と一部の隙もない舞台構成で、エルフラメンコに来日するアーティストたちも必ずと言っていいほどガデス風の照明を要求してきましたね。
ガデスの影響はつい最近まで及んでいました。近年はようやく別の天才たちによってスペインのフラメンコ照明が変わってきていると感じます。
1997年フリーの照明家として独立するためエルフラメンコを辞めました。
エルフラメンコの親会社である三好興産は1998年大阪にエルフラメンコを作ることになりオープニングはアドリアン・ガリアの舞踊団でした。
オープニングからしばらくして当時エルフラメンコのマネージャーをしていた竹内さんから「アドリアンのグループが照明と音響がうまくいかなくてショーをボイコットしている。スペイン人側が佐々木を呼べ!と言っている」と言われ一週間大阪に滞在しました。
照明もトラブル続きだったようですが、音響も当初から厳しかったようで、大阪の音響学校の講師を呼んだり、ハウンドドッグのモニター担当者を呼んだりしてもダメで、最後にスペイン国立バレエ団の専属音響をスペインから呼んだりしていました。
それで音響はとりあえずなんとかなりましたが、照明は私が培ってきたフラメンコ照明のやり方で作り上げていきました。最終的にアドリアンから「ありがとう」と言われた事はとてもうれしく誇りに思っています。
大阪のエルフラメンコのマネージャーを務めていたのは東京エルフラメンコで長年マネージャーを務めていて、スペイン人から「ピンキー」というニックネームで呼ばれていた木越さんでした。この事件があって改めてアーティストにとっての照明と音響の重要性に気づかされたようで、木越さんとは大阪で初めて打ち解けた気がします。
この事によりエルフラメンコの照明・音響を長年担当していた山形多門氏は解雇となり、私が正式にエルフラメンコの舞台の照明・音響の顧問になりました。しかし残念ながら大阪エルフラメンコは7、8年で閉店してしまいました。
エルフラメンコと並行してフリーの照明家として劇場などでフラメンコだけではなくリサイタルや公演、発表会等活動をしていましたが、2003年ギタリストの三谷真言グループ(踊り手のメインはアドリアン・ガリアでした)の照明ディレクターとしてフジロックフェスティバルに出演できたのは一番の思い出かもしれません。
その後エルフラメンコは2016年閉店しました。
Capítulo 4へ続く ーーー
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連載第2回目
最後の二度とない瞬間を支えて~照明家 : 佐々木孝尚 Capítulo 2



