- Home
- アーティストインタビュー, インタビュー, 読み物
- 最後の二度とない瞬間を支えて~照明家 : 佐々木孝尚 Capítulo 2
最後の二度とない瞬間を支えて~照明家 : 佐々木孝尚 Capítulo 2
まだ若い時にエルフラメンコに来て後にスペインでスターになっていったアーティストも多く、エルフラメンコはアーティストにとっても修行と実験の場でもありました。
当時からアーティストはエルフラメンコのステージを真剣に考えており、来日すると一晩徹夜でリハーサルを行い、照明もアーティストと一緒に詰めていくという事が普通でした。
フラメンコは舞台芸術という意識がアーティスト側にもあります。
エルフラメンコはタブラオですが「小さな劇場みたいだ」とアーティストも言っていました。

1982年ローリー・フローレス、フラメンコの素晴らしさを初めて感じました。

1984年コンチャ・バルガスとファミリア・フェルナンデス。最も好きなグループでした。ヒターノのフラメンコの深さを感じましたエスペランサもいます。一緒に遊んだりもしました。

1985年トーマス・デ・マドリード。構成されたフラメンコで見応えがありました。
印象深かったアーティストは何人もいますがローリー・フローレス、トーマス・デ・マドリード、コンチャ・バルガスとファミリア・フェルナンデス、来日中に何日もリハーサルを重ね作品を一緒に作ったコンチータ・デル・マル、店内を改装した時の特別招聘アーティスト、ラウール等々。
ラウールの時は3日間完全徹夜してステージを作ったため大変だったことを覚えています。

1986年コンチータ・デル・マル。 クラシコを交え劇場作品のようなショーでした。
照明は一緒に作り上げました。

1987年ラウール。演出とフラメンコに対するアートな考え方は凄かったです。
入った時からフラメンコに照明を完璧にシンクロさせるという理念でやっていましたので、照明はどのアーティストも信頼して任せてくれました。半面、昔は音響機材がよくなかった事もありいつも苦労しました。厳しい事を言われて眠れなかった事も何回もあります。
スペイン人は良くも悪くもストレートな人たちです。でも長くつきあっていると日本人よりも人間的だなぁと思う事があります。

1985年ドミンゴオルティガのバックできていたダビラゴスと。
もう一人の 歌い手が大変厳しく、半年間つらかった思い出があります。
そのうち大学を卒業する事になりますが、就職せず照明家として生きようと思い、引き続きエルフラメンコにいる事にしました。
Capítulo 3 へ続く ーーー



